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とりあえず日々思ったことなんかをつらつらと。

 

僕らはどこにも開かない -There are no facts, only interpretations.-

僕らはどこにも開かない -There are no facts, only interpretations.-

御影瑛路:著
安倍吉俊:イラスト
電撃文庫


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2005年に刊行された作者のデビュー作のリメイク作品。タイトルは変更なしですが、英語によるサブタイトルが追加されました。サブタイトルはニーチェの言葉から採られています。「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。」という意味になるそうです。
どのようにも解釈できるということにつながると思うのですが、読んでみて、あぁ、なるほどと思いました。どうとでも解釈が取れる登場人物、どうとでも解釈できるそれぞれのキャラクターの言動と行動指針。周りから魔法使いを自称し奇妙と見られていたり、不良として避けられていたり、行き過ぎた優等生とみられていたり…。そんな登場人物の中で、ポツンと自分自身というものの指針を持たない主人公という構図。
友人が殺されたことで、その友人=不良のように徐々にふるまうようになっていく主人公。自分自身がないから、その友人の事を考えることでそれに染まっていくといった感じです。あまりよくないその影響から抜け出して、主人公は自分自身というものを獲得して物語は終わります。
この過程で描かれる主人公と特異な人物として挙げられている3人の視点ですが、それが、どうとでも取れるんですよね。いろいろな解釈ができるように描写されているんです。

主人公柊耕太は行き過ぎて自分が無いように描かれていますが、これは逆でこの年代の子って皆少なからず、この主人公に似た部分があるように思えます。特異な人物である3人は作中でも強烈な個性がある人物として描かれますが、作中の登場人物に言わせれば、柊に比べると一般人に似ているとされています。これも逆で、これに似た人物ってのは、この年代の子には少ない気がします。一見、耕太のような子は少なくて、程度の差はあれど、特異な人物として描かれた3人のような子の方が多いように思わせてしまう作中の描写に飲まれそうになってちょっと困惑しました。
表現力すごいなって思いました。

この作品は淡々として主人公耕太の青春時代に起こったひとつの大きな転換期として、物語が展開されるのですが、僕の歳になると、この耕太のような時代ってあったなぁって受け止めるようになりますね。
きっと、それが大人になったことということにつながると思うんですが、同時に耕太のような感受性って失われたと思っちゃうんですよね。
推薦文で入間人間氏が「30代が読むと自分のなくしたものに頭を抱える。私は抱えた」と書いています。それは耕太の持っていた「白さ」ではなかったかと僕は考えました。

しかし、この作品の原型である作品が世に出たのは2005年。
この作品の中にはスマホやSNSやLINEといった言葉が出てきます。10年ほど前のリメイク前の作品が発表された時期となるとスマホはiPhoneすら登場しておらず、SNSはMixiが前年にサービスを開始したばかり、もちろんLINEなんて存在すらしていません。
なのに、この作品ではごくごく自然にそういったことが物語のガジェットとして出てくる。重要な要素ではないけれど、「今」を感じさせる要素としてそういったものが登場していました。これリメイク前の作品ではどんな風に書かれてたんだろうとか思いました。
10年の差って大きいよね。
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日記は思考が結構、鬱っぽいので鬱日記になること多し。
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