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とりあえず日々思ったことなんかをつらつらと。

 

変な夢を見ました。

渋谷に新しいビルが建ってその中にシネコンが入っていると言うシチュエーションでした。ネットでチケットを事前に取得して映画を見に行くと言う夢なのですが、8/28のチケットを持っていたはずが9/28になっていて(要は買う時にミスった)、映画が見れないと言う物でした。
まぁそれ自体はただの夢です。おかしい所はありません。

変だと思ったのはそのビル内の風景。
新しいと言うはずのビルで外観や内装はものすごく綺麗なビル。モダンな内部レイアウトになっていて少し迷う感じ。夢の中で僕はシネコンの入り口が分からずに、ビルの中をさ迷いました。
普通のビルとはエスカレーターや吹き抜けの配置が異なっていて、これが迷った原因なのですけれど、モダンさを狙った新しいビルにありがちなことです。
にもかかわらず、テナントに入ってみると劇場の段差(傾斜角度がありますよね)を確保するために異様に天井が低いスペースがあったり、ダクトを通す為に1フロア内にアップダウンがあったり。
新しいビルなのにものすごく古くさい作りなんですよね。
目が覚めてから、夢だからと思ったんですけれど、いちいちその古くさい感じの設計に理由がちゃんとあって変な気分。夢の中でも「新しいビルなのに!」とか言いながら走り回ってました。リアルすぎて目が覚めた時に「あれ?映画は…?」とかなった。
リアルなのに現実には無さそうな違和感が常に付きまとってました。

言葉にしてしまうとあの違和感が伝わらないのですが、久しぶりにすごく印象に残る夢を見た感じです。
そうそう、見に行こうとしてた映画は「劇場版ギルティ・クラウン」でした。
そんな映画は予定もされてないのですが、これは僕の願望なのかしら?
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手を抜かない事の重要さ

手を抜いた事によるしっぺ返しというか、手を抜いて楽して早く終わらせようとしたりすると、逆に時間がかかることってままあると思う。
特に僕のようなお仕事ではそう言ったことは多い気がしますね。

難しいもので気楽に行くのと手を抜くのとが割と混同されてしまいがちな気もします。
気楽に行った結果、手が抜かれるというのでは問題が有るわけですが、この気楽に行くというのは往々にして手抜きを発生させてしまうという問題も。心の持ちよう何ですけれど…。

気楽に行かないと普段気づかないような問題点とか、気にしないと行けないことを見落とす。そう言った面でガチガチに気負うことなく行くというのが気楽に行くということであって、手を抜いても問題が無かろうと高をくくるのとは違う話です。

どうも、気楽にが手抜きになってしまってるのをよく見る気がする。
そうなって結果、より時間や手間がかかってしまっているというのは良くない。
そうならないように気を引き締める。でも気負いすぎないように。
バランスが難しい。

 

魔術士オーフェンはぐれ旅 解放者の戦場


魔術士オーフェンはぐれ旅 解放者の戦場

秋田禎信:著
草河遊也:イラスト
TOブックス


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オーフェン新シリーズ4巻目。
昔からオーフェンシリーズは巻数表示が無い為、迷っちゃいますね。
ただ、昔ほど刊行ペースが速くないのできちんと新刊を買って居ればため込む前には読める感じ。ため込んでるのは僕が悪いんですけれど。

ヴァンパイアの勢力とキエサルヒマの思惑に翻弄される新大陸の構図で、そこでいくつかの勢力が絡み合って動いてるのですが、新大陸の面々は「ご近所で世界一決定戦」が出来る程なのに翻弄されっぱなしなのが、なんとも辛い状況です。
もともと、原大陸の面々は政治的に弱いというか誰かの手駒だった人が多いので、その辺は政治的に弱い感じでしょうかね。
この巻は状況が刻一刻と悪化していくのを描いているので、ずっとはらはらしっぱなしでした。
読者はオーフェンの視点を一度ならず通過しているので、物語の登場人物よりはかなり上方からの視点を持っています。ヴァンパイアがどれだけ危険でそれに近づくのがどれだけ危険か、神人がどれだけ危険かというのを知っている状態なので、利権によって動いている勢力が惨く馬鹿に見えるのは確かなのですが、危険な力でも利用出来るものは利用すると言うスタンスなのは良くわかる。
そんな、「分かっていない」者も含めてよりベターな方向性へ進もうとしているのが原大陸の人達なのですが、みんななんか背負わなくて良いようなものを背負って辛そうです。

昔のオーフェンはオーフェンの視点から描かれていましたが、今回の新シリーズは基本はマヨールで、場面にマヨールが出ていない場合にその場の主要人物に視点が入れ替わる感じの群像劇的になってます。
普通の群像劇だと主要人物の年齢層はどこか1世代にまとまっている事が多いですけれど、オーフェン達の世代、オーフェン達の先生達の世代、マヨール達子供の世代といくつかの視点があるので少し読みにくさを感じます。
読んでいてきついのがベイジットの視点。ベイジットは目的が力を求めていると言う事なんですけれど、彼女のやりようと言うのはすごく危うい上、何か子供の我が侭さと言うのが見え隠れしていて、鼻につくんですよね。それに対してマヨールの視点というのは昔のキリランシェロ的な視点なので読みやすい感じがします。
読者的にも感情移入しやすいのはマヨールなんだと思いますね。
利権とかの絡みなんかは見えてない(知らない)、その上で目的があって行動しているんだけれどうまくいかずに翻弄されていると言う立場です。

オーフェンが大人になってしまったので殆どこの巻では動きが無いのが悲しい。
マヨールが主人公的なのですが読者としては、あの皮肉屋で実力があるにもかかわらず、全力が出せない、殺せない暗殺者オーフェン、彼の活躍がみたいというのが本音だと思うんですよね。
この巻では軟禁されたっきりだったのが残念。それでも、状況を判断して動けるように待機している様というのは何となく格好良さというものを感じました。
次からは動きそうですし。

次がすごく愉しみ何です。
マヨールには悪いけどやっぱりオーフェンやコルゴンの活躍がみたいですね。
あぁ、ラッツベインが出てるとすごく安心しますので、なんか彼女の活躍を増やして欲しい。

 

情熱の温度

一般的にあこがれられる職業ってのはあると思う。
それは格好良かったり、お金が儲かったりする商業だったりするのだけれど、その職業に就く事を諦めたのは何時の頃なのかな?
なんて思ったりした。そして何が理由だったのかなと。

業種によっては年齢制限や性別による制限があると思うのだけれど、そういったものを抜きにしても、現実を見ちゃって子供の頃にあこがれていた職業にってのは何時しか諦めてしまうのが普通だと思うんですよね。
でも、そういった制限が一切無い職業でも諦めてしまって結局、普通のごくごく一般的な職に就く人は多い。
そういう諦めた人と実際にそういった職業に就いた人の差って何だろうとちょっと考えた。
考えた時に僕が例としてあげた職業はいわゆる創作活動系の職業。作家とかマンガ家とか。

作家とかマンガ家になるのに年齢制限は無い。性別も関係ない。最終学歴も関係ない。
才能と言うけれど、確かにマンガ家は絵を描く技術は必要かも知れないけれど、作家は普通に言葉を使えれば、良くも悪くも小説を書くことは出来るから、才能ってのは何となく違う気がしないでも無い。
でも、多くの人は才能が無いとして諦めるんだよね。
こういった職業に就くのは。
なぜ、才能が無いと諦めちゃうのだろうと感じた。
文学賞やマンガの新人賞に何度も何度も応募したのかしら?大凡の場合、そういった事はしていなくて最初から諦めちゃっているのでは無いかと感じなくも無い。
なぜ最初から何もしないで諦めちゃうのかなと考えた時、情熱の温度が違うのかも知れないと思った。
そういった職業に就いた人はものすごく熱い情熱をそれに注ぎ込んだのでは無いか?それが実ったのでは無いかと思う。
才能や運によって早い、遅いと言うのはあるかも知れないけれど、その情熱がそこにたどり着ける為に必要な唯一なものではないのかと考えた。
情熱によって才能をカバー出来るのでは無いかと言う事。

実際にはそんなことは無くて、ただただ、才能だけなのかも知れないけれど。
でも、それを培う土壌はやはり情熱によって作られるのでは無いかと思う職種ではあると思う。
そういった職種については、くすぶっている情熱があるのなら幾つになっても捨てなければ良い様な気がする。
それが、今就いている職業とは関係ないかも知れないけれど、その情熱の熱さはその人を支える軸になるんじゃないかと思う。

そんなことを漠然と思った。

 

謎の彼女X

同名コミックのアニメ化なんだけど、原作はまだ連載中だし内容的には中途半端なのでは無いかなと思った。
ボーイミーツガールものなんだけれど、フェチズムを前面に押し出して居て少しアブノーマルな関係をアクセントにしてる。
よだれを介して感情的なやりとりが出来ると言うのがストーリーの鍵になってるのだけれども、扇情的な印象付け以外にはあまり有効な使われ方はしてなかった気がしました。
フェチズム前面押しや妙に扇情的になってる以外は至って普通のラブコメでしか無かったかな。
見終わってみるとなんか普通と言う風に思った。

ヒロインの卜部さんにはいろいろ秘密がある訳なんだけれども、よだれでいろいろ出来るところとか、謎の身体能力とか、家族構成とかそういったモノは一切、理由やなんかは明かされないまま終わってしまう。
良い感じに主人公とくっついて距離が縮まって行ってるのは分かるんだけど、それ以外に盛り上がりが無い感じ。
原作が未完だからその辺に由来してるんだろうね。

 

フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」と「真珠の首飾りの少女」

マウリッツハイス美術館展(東京都美術館)
ベルリン国立美術館展(国立西洋美術館)

この夏はフェルメールの作品が一挙に東京にやってくるという事で見てきました。
それも耳飾りと首飾りというなんとも似たタイトルの絵。
展覧会自体は別々なんですが、同じ時期に両方上野公園内にある美術館での開催ですので一気に見るのにはとても良い機会。
夏休みですので一日かけて一気に見てきましたよ。

はがねの鑑賞順はマウリッツハイス→ベルリン国立の順です。フェルメールの作品的には耳飾り→首飾りと言う順になるのですが、これは正解だったようです。
朝一から行ったのですが、マウリッツハイス美術館展は混む一方。それに対してベルリン国立美術館展はそれなりという感じで一日で一気に見るならこの順番か、逆にして夕方以降にマウリッツハイスにと言う形ですかね。

今回のマウリッツハイス美術館展は、同美術館が改装中につきと言う事でメインで飾られている作品が貸し出されたと言う礼のようです。
あまり大きく無い美術館らしいですが、収蔵されている作品が一連のテーマをもって居るようでオランダの名画家達の作品がそろっているようでした。
その中のでもメインとなるのがフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」です。あの青いターバンを巻いて黒背景で描かれた有名な絵ですね。
この絵だけは立ち止まって見ないで下さいと言う事(混むので)であまりゆっくり見れませんでした。立ち止まって見る場合は2列目以降でと言う制限がついていたので、間近で移動しながら鑑賞、その後、じっくり2列目で鑑賞という感じで見てきました。
すごく綺麗な絵なのですが、何となく僕は今まで見てきた地理学者や手紙を書く女の方が好みに思いました。何というか、これフェルメールなのかしら?と言う印象を持ったんですよね。どちらかと言うとこういった作品はレンブラントなんじゃないかなと。
フェルメールと言えばこれなんですけれど、彼の持ち味が少し薄くなった印象を持ちました。フェルメールは何となく生活空間を描いた作品のなかで光を巧妙に表現する画家と言う印象を僕はこれまでの展覧会で持っていたので、その違和感かも知れません。
この展覧会で僕の印象に一番残ったのはレンブラントの絵でした。シメオンの賛歌という絵で要はキリスト教の宗教画なんですけれど、すごく精緻に描き込まれていて陰影の強調がすごくて、聖人の持つ光とはこういうものだと訴えるかのようでした。
フェルメールばかりクローズアップされてますけれど、同じくらい著名なレンブラントもこの美術展では多数、展示されてました。レンブラントはフェルメールと同時期なのでよく一緒に来るのはあるのですが、もう1人ものすごく有名な方が…。ルーベンス。彼の絵も数点ですがみれます。
なにげにすごい展覧会でした。フェルメール以外は知らんと言う人もいっぱい居たようで、ルーベンスやレンブラントですらさらーっと流す人がいてもったいないと思ったりも。(笑)
展示作品は50点弱とちょっと少なめなのかしら。

ベルリン国立美術館展はルネサンスからロココまで400年分のヨーロッパ美術を見て見ましょうと言う展覧会で、展示品が半数は彫刻です。
その事もあるのか、展示数が多くて100点を超える作品が展示されてました。
面白かったです。
聖ゲオルギウスをモチーフとした彫刻が何点もあるのですが、時代が後になるとより精緻にダイナミックになっていくのが分かって何とも。
この展覧会で一番印象に残ったのはまたしてもレンブラントなのですがミネルヴァ。何とも迫力の有る絵で、ミネルヴァ以外は殆ど影の中なんですがその影の存在感、そして影がある事でのミネルヴァの存在感が印象に残りました。次点でメインぽく紹介されてたフェルメールの真珠の首飾りの少女。この絵を見て、何となく真珠の耳飾りの少女を見た時のもやもや感が消えました。何となく僕のイメージのフェルメールはやはりこっちだ的な。
ヨーロッパの美術史を駆け足でみる展覧会ですので、中にはタペストリーみたいなものも展示してあったりして、印象深かったです。
どうしてもと言うか、先にも書いた通り彫刻が多いせいか、なんかさらっとした印象があるにはあるのですが…。
そうそう、何故これをモチーフに?とすごく疑問だった彫刻があったんですよ。
普通、静物画とか動物とかそういったモノを絵にするのは分かります。あまり美しくないモノでもそれが意味するものによって作品として描かれたりするのは分かります。
たとえば静物画に入り込んでいる動物の死体とかドクロとか。そういったモノは大体、「死」や「はかなさ」と行った事の象徴として描かれて居るのですが…。
海産物…。エビの彫刻があったんですよ。それもカメオみたいな形のプレート(結構大きくて全部石なんですけど)で、エビ。エイとかも彫り込まれてた。
これは意図が全く分からなくて、ちょっと吹いた。(笑)

何はともあれ、すばらしい作品群に出会えた幸運を堪能してきました。

あと、国立西洋美術館の常設展も見てきましたよ。
なにげにすごい人達の作品がごろごろあってびびる。ルーベンス、モネ、セザンヌ、ピカソ、ドラクロア…。
ただ、それぞれの作品のオーラってのかな?代表作と言われるものが来ている特別展に比べるとおとなしめかなーと思いながらも愉しみました。
近代に入るとキュビスムとか印象派の作品が台頭してくるんですけれど、これ写真のせいなんじゃないかなと思った。フェルメール達の17世紀だと写真はまだ駄目で、それが過ぎてくるとだんだん写真が出てくる。写真があるならば精緻な写実的な絵を描かなくても良くなってくると言うのはあるでしょうし。
でも、写真の印象と、絵画の迫力ってまた違うものなんですけれどね…。それでも写真が出てきた事は影響があったと思います。

今回、長い美術史を経験出来たので自分の好みってのが分かってきた。
15~17世紀くらいの絵が好みだと言う感じ。
近代の絵に近くなるにつれ、印刷技術の面とかもあって、描き方とかも変わったことが何となく分かる。
前述の写真のこともあるんでしょうけれど、よりイラスト的になっていく印象。もちろんイラストと絵画は比べものにならないのですけれど、表現技法の1つとしてイラストってのもありだよなと思ったりも。
ただ、インパクトはだんだん薄れているようにも思うんですよね…。
なんにせよ、良い経験をしてきました。

余談。
国立西洋美術館にロダンの考える人があったんですけど…ロダン、どんだけ考える人好きなんだよ…。ノーマルサイズ、ビックサイズがあって、地獄の門っていう門の一部にも考える人が入ってた。(笑)

 

照明のスイッチ

おうちのトイレの照明のスイッチのプレート(ハンドル?)がカパカパになったので交換したいところ。
調べてみると、スイッチの施工は資格が必要なようであるが、もっと調べると、交換したいプレートの部分は資格がなくても良さそう。
で、部品を入手しようと調べてみた。

うちの照明器具のスイッチ系は神保電器のモノが使われて居ると言う事がカパカパになったプレートから分かったので、ホームセンターで購入しようと…。
パナソニックのしか置いてませんでしたとさ。

仕方ないので…メーカーに問い合わせ→店舗紹介してもらう→施工業者専用店舗です→マンションの管理会社に問い合わせ→もれなく業者による施工→却下→メーカーに相談→アキバのお店とネットで買える所を紹介して貰うと言うえらく遠回しな感じに。
ネットで買えることが確認できた所で、今日は諦め~。

教えて貰ったネットのお店はそういえば見た事は見たんですよね。
1件しか見当たらなかったんだけど、送料が掛かるし直に入手できるならそちらのが良いと思ったのでとりあえず保留してたの忘れてた。
まぁ、と言う訳で入手は出来るようなのですが、なんかパナソニックのひとり勝ちなの?っていう感じ。
ネットでもパナの部品は安易に手に入るしホームセンターにも売っている…。
確かに、電機メーカーで町のお店を持ってるのは今では殆どパナだけだけど、ネットで見ると神保電器の部品のが格好いいとか評判が良いのに。

神保電器の部品を入手しようとすると普通は、施工業者が来ると言う形になるみたい。
施工業者が来るともれなく出張費が取られるから微妙なんだよなぁ。
今回みたいにプレートが緩くなったくらいだったら部品だけで済ましたいじゃ無いですかー。
なんでDIYが割とはやってるのにパナのしかだめなんだよー。
パナ以外の部品ではDIYするなってことかー?
でも神保電器さんはちゃんと応対してくれたぞ?
と言う事は置いてない小売の問題だな…。

あ、神保電器さんの応対はすごく丁寧でよかったです。親切。

 

ギルティクラウン レクイエム・スコアⅡ


ギルティクラウン レクイエム・スコアⅡ

ゆうきりん:著
redjuce:イラスト
トクマノベルズ


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ギルティクラウンのノベライズ第2巻。
涯が一度死ぬ所まで。すなわち12話までです。
前巻からそうでしたけれど、涯視点で描かれているというのは変わりなく、裏側の設定が良く見通せる内容になっています。涯が居ないシーンについては集やその他の人物の視点で描かれるのですが、涯の居るシーンのウェイトが高く、他のシーンのウェイトが下がると言う結果になっています。

設定を把握するという意味あいでは涯の視点というのはとても分かりやすくて良いのですが、逆にそれがネックになるシーンも今回はありました。
それはギルティクラウンのテーマである、友人を武器として使うと言う事に関する描写が削られた事。実際にヴォイドを使うシーンってのは涯が死ぬまでは涯の前でしか無いので、削られてしまう事はありませんでした。ただし友達を使うと言う面の後ろめたさを、主役である集が感じていく要因、集の心の動きなどに直結するシーンが今回あるのですが、そのシーンが涯とのやりとり関係に圧迫されて少し薄く描かれています。
集と颯太との関係描写(大島のシーン)が薄くなってしまう事は、今後の二人の関係や、集が冷たい王様に今後なってしまう事も含めて非常に重要なシーンなのに。少し残念です。

元々涯視点オンリーでは無く、涯にウェイトを置いているだけですし、3巻は涯視点は難しい事は分かっている(涯が出てこない)ので、あの話だけでも集にウェイトを置いても良かったんじゃ無いかなとどうしても思ってしまう。
ちょっと涯に寄りすぎてる。
それが無ければかなり評価高いだろうに。このノベライズ。
そんな2巻でした。
3巻は涯が不在になるはずですが、どうやるんだろう?

 

共喰い


共喰い

田中慎弥:著
集英社


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平成23年度下半期芥川賞受賞作。
僕は単行本ではなく文藝春秋に掲載されたものを読みました。
普段、ラノベばかりなので原点にもどって(昔は文学作品メインだったのです)、文学作品を読もうと言うことで何かと話題になったので読んでみました。

文学作品というのは割と生臭い感じがする印象というのが有るのですが、この作品もそんな作品でした。
作品では昭和の終わりの田舎の風景がそこにあるのですが、何となく閉塞感の印象というかそういうものが設定されている昭和63年よりも前、言うならば昭和40年代くらいの雰囲気に感じました。
どうしようもなく閉塞し、何事も行き場を無くしている印象で、そこで生臭い人の営みがあると言う感じで何とも息苦しい感じを感じました。

若い性衝動や、理知的ではない親への反発、暴力的な父の血を引いている事への嫌悪、そういった事が描かれて居ます。
主人公の遠馬は、幼なじみと青い性行為に溺れながらもなんか、子供である事から抜け出せない感じを受けました。
親に反発したり、大人の振りをして性行為に溺れたり、生意気な口をきいてみたりしてるのですが、どうもそれが子供じみて見える。
結局、彼は事の事態に翻弄されるままだったし、決着を付けてしまったのは母親だった。それを見た事で彼は成長したのかも知れないけれど、結果は描かれて居ない。
もやもやする感じがつきまとうのですが、このもやもや感は遠馬の抱いているもやもや感そのものなのかも知れない。

彼の周りに居たのはあまり「良い大人」では無かったけれど、彼はそれで何かを学んだのか、少しだけ大人になったのだろうけれど、彼の複雑な思いは結局閉塞したまま何じゃ無いかなと僕は感じた。
否応もなく彼の環境は今後変わるけれど、それがあまりプラスに向く印象はないのも致し方ない事なのか。

短い作品なので一気に読めるのだけれど、考える事が多くて読後感がよろしくないと言うかすっきりしないと言うか。
文学作品は往々にしてそういうものは多いけれど、これもそういった感じでした。
作者の衝動が感じられるのは流石は賞を取った作品って事なのかな。

 

這いよれ!ニャル子さん

今までもフラッシュアニメとかでアニメ化自体はされていたのだけれども、フルアニメーションによる初アニメ化となった。
また地上派で普通に見やすい配信方法だったのでかなりブームになりましたね。
放送中、どこの本屋に行ってもラグクラフトコーナーが出来てるし、(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!のAAのポップが乱立してた。
まぁ、内容自体は原作であるニャル子さんそのまんま。感慨も無い感じ。

癖になるOPのイントロ((」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!はそのコーラス部分)で一気にファンを獲得した感じがあるけれど、この作品を楽しみたいなら原作を読んで下さいねと言いたい。
と言うより、これで何が面白いんだろう?と言う感じではあった。
原作通り、アニメやマンガのパロディはそこら中にちりばめられているのだけれど、肝心のクトゥルフ神話的な所の説明が完全に不足しているとか、文章が無いので全体的に説明不足。
同時に原作の方が小説としての巧い描き方で、おもしろさを醸し出していたのだなぁと感心してしまったり。
ただのラブコメになってしまった感じでなんか微妙だった。
原作の小説のが数倍面白いですよ。

 

ついてこれるか?と問うてくる曲

暑いからと言う訳では無く。
色々気が乗らない事が多くて気が滅入りがち。
よろしくない方の完璧主義が邪魔して何も手に着かない感じ。

結局、マイナス思考な感じを自覚する訳ですが、なんとか気を奮い立たせてみたりする。
そんなときには僕の場合は音楽に頼ることが多いです。
自分の好きな曲を聴くと言うのが僕のやり方なんですけど、音楽の力ってすごくて下手なのをチョイスすると逆に沈んでしまったりしますよね。
鬱っぽい精神状態の時に鬼塚ちひろとか聞いちゃってさらに凹むみたいな。

僕が鬱で凹んでた時以来、自分を奮い立たせる時に聞いてるのは、Fate/stay nightのBGMの1つなのですが、エミヤと言う楽曲。(正確には続編であるhollow ataraxiaで使われた別アレンジのエミヤ#2と言うやつ)
凹んでた時に唯一やったゲームなんですが、なんか世界全体が白黒モノトーンな感じの中、このゲームの印象だけ残っていてこのエミヤをテーマソングとするアーチャーの赤いマントが鮮明に脳裏に残っています。
格好いいキャラなんですが、その台詞の中で「ついてこれるか?」と主人公に問いかけるシーンがあります。
その印象がとても強くて、アーチャーのテーマソングを聴くと、「ついてこれるか?」と問われている気になって、ついて行くと思える様になります。
あの赤いマントについていけば、モノクロの世界から抜け出せるような気がするのです。

そんなわけで今日もエミヤを聞くのです。


Fate/hollow ataraxia ORIGINAL SOUNDTRACK

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Fate/Zero 2ndシーズン

この作品はまぁ、僕がFateファンであるので正常な評価は割と難しいと言う事をさっぴいても、かなりできが良い作品だったと思う。
ただ、描いているのは悲劇であって「楽しい」というものとは程遠い内容だし、もともとがFate/stay nightが有ってこその作品なので全体的な評価としては、単体で完結する作品と較べると見劣りするのは致し方ない所と思う。
Fate/stay nightを知らない人はこの後どうなったの?と言う感想に繋がるんだと思う。

切嗣が正義の味方としてがんばってきたのに、これ以上、人が犠牲になる世界を根絶しようとして居たのに結果的に浴びせられた現実ってのは、切嗣が絶望した正義の味方の有りようで、そこでは彼の愛するアイリもイリヤも犠牲にせざるを得ないと言うものであって、それを知った時の彼の絶望は半端無いものだったろうと想像出来る。
正義の味方ってのは有りようについて良く語られるけれど、彼の理想ってのは到底たどり着けるものではないので、どこかで妥協とかそれでも覚悟というかそういうものが必要になるのだけれど、スタート点がもうこれ以上はと言うところで有ったのが痛かった。
これ以上は切嗣は戦えないところまで追い詰まってたんだろうなと思う。あるいは最初から追い詰まっていた。
ものすごい悲しい話し。分かっていた事ではあったけれども同じ理想を抱いていた切嗣とセイバーは結局最後までお互いをわかり合う事は無かったし、犠牲になったものがかなり大きい。
テーマ的なものは本当に絶望感で終わる。

少し尺が短くて描き切れて無い所があったのが残念かなと思う。
特にバーサーカー(ランスロット)とセイバーのくだりは、原作通りではあるもののもう少し時間があればもうちょっと分かりやすい描写が出来たんじゃ無いかと思う。
最後の戦いが全体的に尺不足。セイバーvsバーサーカー、切嗣vs綺礼を同時に描いてるから仕方ないのかも知れないけれど。

やはりこの作品で特筆すべきは絵の美麗さ。
テレビアニメのクオリティでは群を抜いている。あとでてくる男性キャラがみんな格好いい。
へたれな主人公が多い中、これだけ良い意味で男臭くて格好が良い作品もなかなか無いと思う。


Fate/Zero Blu-ray Disc BoxⅡ


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これはゾンビですか? OF THE DEAD

ぶっちゃけ惰性で見ました。
なんか他の1シーズンモノより早く終わったんですけど話数少なかったのかしら?
1期目はそれなりに危機的な話もあってそのたびにキャラが増えると言う感じを取ってましたけれど、危機はどこ行った?と言う感じ。
すっかりドタバタラブコメだけで話が進んでる感じです。
まぁ、それはそれで良いんでしょうけど、とりとめが無い印象を受けました。
確かに筋としては「妖精さん」とその正体ってのが一本あって、それに絡んでストーリーが展開されていくんですけれど、終盤で正体が出てくるまではその筋が見えないっていうね…。
この作品はそれで良いような気がします。見て笑って。すこしおおぅ?って思う良い感じの台詞があって盛り上がる。そういう作品。

 

未来日記

漫画原作。2クールものです。
どんな作品だろ?と本屋で気になってた作品です。これもシャナと同じく原作の終了に合わせてアニメ化という感じでした。
一応、最後まで描ききってる模様。(原作は未読)

神の座をかけてバトルロイヤルするというものなのですが、その登場人物達の武器が未来予測をする日記というもの。12人、バトルロイヤルに参加するのですが、その殆どの日記は携帯電話のメモという形式だったようです。
未来が予測できるので、バトルロイヤルでは自分が死亡、敗退するという未来を変えながら行動すると言う面白いネタでした。
それに、ループ要素を組み込んであって、見ていて飽きはしないし面白い作品でした。

ただ、ちょっとヒロインが気持ち悪い。
ヒロインの考え方がすごくストーカーで気持ち悪いモノで、受け付けない人は居るんじゃ無いかなと思いながら見てた。正直、途中で何度か止めようかと思いながら見てたのは事実。
終盤でそうなっちゃった経過は描かれるんだけれど、それにしてもなぁと言う面は否めないです。
登場人物はかなり歪んだ人で占められてるので、その辺は覚悟が必要です。
主人公の雪輝からしてまともに見えてても歪んでる。一番歪んでなかったのって実はみねねなんじゃ無いかなと思ったりもして。

最後まで見れれば面白かったと言えると思うんだけれども、そうじゃないと気持ち悪いって言う評価になるんだと思いますね。
最後まで見た自分にご褒美をあげたくなった。
たぶん漫画で読んだ方が読み切れるんじゃないかな?これ。

 

灼眼のシャナⅢ-FINAL-

原作の最終章をほぼそのままアニメ化。
原作の完結に合わせてアニメ化されてこの作品の放送中に最終巻が刊行されたりしました。
原作ファンへのサービス的な作品という感じですが、正直いってですねⅡやOVA版の終了からかなり経っているので何故今?って感じでした。
そのせいなのか分からないのですが、一部Ⅱの続きから繋がらない(繋がらなくは無いけれど違和感がある)ようになっています。具体的にはⅡのアニメオリジナルの展開として仮面舞踏会が起こした事件がほぼ語られない。わりと重要な位置づけの事件なんですが、原作と繋げるために無かったことにはなっていないようですが、積極的には語らないと言う状況になっています。

全体的に作品作りが雑で、ファン以外はこれには手を出さないなと思い(Ⅲですしね)、ファンはこれに満足はしないだろうなと思いました。
特に最終章は敵味方いっぱいキャラクターが出てくるのですが、殆どが雑な扱いを受けていますし、絵的にも雑。特に絵は雑すぎてもうなんていうか笑っちゃう感じでした。
悠二(祭礼の蛇)の武装に力掛けてるのは分かるんですけど、それだけじゃね。
原作では文章で説明されていた新キャラの説明が少ないので、訳分からないキャラクターが何人か。もうね…。

良かった点は長い原作の最終章を2クールで描ききっているので飽きはしないです。ただ、前述の欠点があるので始終「んー?」ってなっちゃうんですけどね…。
1ファンとしてはやらない方が良くなかったか?と思ってしまう。
残念でならない。
絵が丁寧で迫力があれば、アクションものとしてかなり見れたかも知れない。残念。

 

新約 とある魔術の禁書目録4


新約 とある魔術の禁書目録4

鎌池和馬:著
はいむらきよたか:イラスト
電撃文庫


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読んでいて雰囲気が15巻と同じだなと思いました。
上条ちゃんをはじめとして、これまで物語を引っ張ってきた人達は出てきません。サイドストーリー的な展開を延々やられている感じ。
最後の最後で上条ちゃんは出てきますけれど。
他のメンバーはどうなったのと言いたくもあったり。

グレムリンや学園都市が上条ちゃんと直接関わらない所で色々暗躍したり、ぶつかり合ったりしている面を描いています。
今回の見物はグレムリンの構成員と学園都市の木原一族なんですけれど、両方とも正常じゃない人達なので読んでいて気持ちが悪い。
特にグレムリンの魔術師の1人で人を生きたまま家具にしてしまうと言うキャラクターが気持ち悪かった。
一見、まともそうな精神を見せるキャラが本性が異常というのが一番気持ち悪くて、はじめから壊れた感覚を見せているキャラがそのまま壊れているのは、割とそのまま受け止められるってのが良くわかった。

途中、展開的には悪役同士が戦っている中、割と一般人(それなりに実力はあるものの)の数人が巻き込まれていて、それらのキャラクターがやばくなる度に、「逃げてー!!」って言いたくなるの繰り返し。
グレムリンとか学園都市の思惑をその中で小出しにしているのが何とも。
ちょっとこれ、冗長になるパターンだと思ったりもした。
本筋として必要なのは上条ちゃんが登場した最後の所だけだろうし。

次が待ち遠しいのは確かなんだけど、展開が小出しだなぁと小首をかしげる感じは否めない。まぁ、人気シリーズだしね。
電撃はコミックを同じ感覚ってのが正しいよね。

 

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Author:はがね
日記は思考が結構、鬱っぽいので鬱日記になること多し。
購入して読んだ活字媒体と購入したCDのレビューやってます。
オタなので、ジャンルはオタ方向に傾倒。

チベタン・スパニエルという珍しい犬種の愛犬記事もありまする。

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