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とりあえず日々思ったことなんかをつらつらと。

 

Fairy gone フェアリーゴーン(第2クール)

第2クール目。
1クール12話で放送されました。第1クールも12話だったので全24話ですね。
1クール目ではマーリヤが居場所がないという感覚に囚われているなか、だんだんとドロテアに馴染んでいくのを描いていました。そのスピードは割とゆっくり目でじっくりと描いていたという感じがありました。
それに対して2クール目ある今回は状況が目まぐるしくぐるぐると変わっていって展開を急いでいる感じでした。
黒の妖精書をめぐる攻防あって、レイ・ドーンの想いっていのがあって、傭兵団のビーヴィー・リスカーの思惑とかあってと前半は盛沢山で状況が動いて行きます。
結果的に黒の妖精書は妖精省の元に集まるんだけれども、その妖精省がアインツ教団という宗教組織の隠れ蓑になっていて、黒の妖精書に書かれた神獣を復活させて世界を滅ぼそうとする組織だったというのが分かるという流れ。
その中で運命に翻弄されながらも前を向いてフリーや仲間たちと歩んでいくマーリヤの姿を描いているという感じ。

結果的にマーリヤの自分の居場所がないっていう思いが開放されるのってさ、1クール目でもかなりいい感じにドロテアの中に居場所を作ってた感じがしたんだけれども、心の奥底にわだかまりがあって、最終的に開放されたという感じになったのは自分が妖精憑きであり、神獣を作り出す要素のひとつになりえるという事をドロテアの仲間たちの前で公表して、それでもなお仲間たちが態度を変えずにマーリヤはマーリヤだしと認めてくれた時だったように思えます。
ずいぶん長い尺を掛けてマーリヤの居場所っていうのを描いてきてた訳なんだけれども、見終わってみれば、それはマーリヤがヴェロニカを救う、復讐心によって曇ってしまったヴェロニカを救うための強さとか足元とかそういうことに必要だったんだと思いました。
だから、いろいろ物語はくるくると状況を変えていくけれど、マーリヤの土台が揺れ動かなくなるまで物語を引っ張る必要があったんだなぁというのが僕の感想。
結構、その部分は丁寧に描かれていましたね。
そこさえ押さえておけば、あとの展開は些末なもので、いろいろ揺れ動くけれどマーリヤとヴェロニカの心の動きを押さえることができます。

些末とは言いましたが話の展開が面白くなかったという訳ではなくて、それはそれで盛り上がるし、黒幕だと思ってた人が実は違くていい人だったりという展開や、人々の妖精に対する思いとかそういうものを描いていっていたというので面白かったと思います。
とても悪人に見えるレイ・ドーンが実は覚悟を決めて必要悪を被った人だったというのとか悲しかったな。
レイ・ドーン、結局全く救われることなく、しかも神獣の素材にされちゃって絶命するんですけれど、英雄のひとりをそんな扱いにする、しかも覚悟をもって必要悪になれる人というので、惜しい人を失くしたと思いましたし、アインツ教団怖いって思いました。
ただ、よかった面というのは話の展開とレイ・ドーンの描写までで、アインツ教団の真の目的とか、ウルフランが結果的にフリーと戦って改心するんですけれど、その辺の描写が薄くなってというかアインツ教団の目的とか分からずじまいですし、ウルフランは尻の軽い男にしか見えなくなってしまっていたのは残念かなと思います。
マーリヤとヴェロニカに話数をかけすぎていて、その辺はちょっと描けなかった感じですかね。
全体的に見て面白かったと思いますけれど、最後の方で詰め過ぎ感があったかなという感じ。
第2クールは結構全体的に話がぐっと詰まってましたかね。それが顕著なのが最後の方数話というところです。

妖精が兵器として使われない世界はまだ遠いというフリーの台詞で物語は終わりますけれど、確実に妖精たちは開放されて人の世界から去っていく過程という終幕。
「妖精は行ってしまった」と訳せるタイトルはここに繋がっていたんだなぁという感慨を持って終わりました。
気になっているのはマーリヤのアッシュクラッドはいなくなっちゃったのかなぁ?
ヴェロニカのブラッドドーターと融合して神獣を倒しますけれど、その時に妖精が空に帰るような描写があるんですよね。
でも、神獣を倒したのはブラッドドーターの能力ですし、消えたのはブラッドドーターだけとも思える。
最後、フリーと旅をしている描写がありますけれど、これ世界の状況を見て回る感じの描写でしたし、マーリヤ自身が妖精憑きであるという事を言っているのでアッシュクラッドは残っていると思うですけれどね。もしかしたらブラッドドーターと融合した状態で残ってるかもしれないし、続きがそれなりに気になる終わりでした。
こういう終わりっていい終わりだと思うんですよね。
物語の余韻を視聴者が想像する余地をもたせて終わるっていうの。
ぜんぶが全部、伏線を回収して終わるのも良いとは思いますけれど、物語は続いていくっていう終わりって素敵じゃないですか。

そんな感じで。
いろいろ足りないところもあったけれど、終わってみれば哀しみも多いけれど良い話だったなぁって思いました。もう2、3話あったらもっとよかったのにね。

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ヴィンランド・サガ

2クール24話で放送されました。
同名コミックのアニメ化作品。原作の8巻途中までのアニメ化となっています。
プロローグ編、幼少編、ブリテン編のアニメ化となっています。
これさ、タイトルがヴィンランド・サガとなっていますが、原作を読んでいるときも思っていたのですけれど、全然主人公のトルフィンがヴィンランドを目指さないんですよ。ヴィンランドを目指すという話が出てくるのはアニメ化されたブリテン編の後である奴隷編の終わりあたりからであって、それまでは長いプロローグという感じです。
実際、このアニメ。24話のサブタイトルが「END OF THE PROLOGUE」です。
つまり、ずっとプロローグを見ているという話なんですよね。ははは。

ヴァイキングというのは日本でも名前は著名ですし、中世ヨーロッパで各地を荒らしまわった海賊という意味で認識されていると思います。
僕もぶっちゃけてこの原作を読むまではそんな印象でとらえていました。
この作品のすごいところは、ヴァイキング=デーン人の生活を克明に描いていたという事ですかね。
戦争をして財宝を略奪によって稼ぎ、厳冬期には自分の村に帰って体を癒す。
しかも、職業軍人はいるものの、ほとんどの人は農民や漁民であり、それが戦争に参加しているという形をとっていたというのが、この作品を見ていると分かります。
主人公トルフィンがずっと行動を共にすることになるアシェラッド兵団は職業傭兵団なので、あまりそういうところを読み解けるシーンは多くないですけれど、兵団が村に帰るシーンとかあったりするのでその辺を読み解くのは難しくないと思います。

原作からはシーンが追加、ちょっとした改変があったりします。
まず、トールズをアシェラッドに殺されたトルフィンが、アシェラッド兵団の中に自分の居場所を作るまでの話が少し追加されています。
また、トルフィンが略奪をよしとしていないような描写があります。非道になり切れないトールズの子としての彼をよく表しているエピソードが追加されていました。アシェラッド兵団が略奪の為に寄った村で偵察に出たトルフィンは世話になった家族を逃がそうとします。彼の甘さっていうか、非道なことをできるヴァイキングとは一線を画している人格であるということが示されていました。
ただ、アニメ化された部分でのトルフィンは復讐という目的の為に目が曇っていますので、戦士として有能で人殺しを躊躇しない人物になっていくという悲しい人生を送っているのが描かれていました。
その結果、アニメ独自の展開としてクヌート王子が王位に就く直前の物語でレイフと再会した際にみずから正道へ戻る道、トールズが目指したであろう道から外れて行ってしまうのが悲しいかったです。
原作ではアシェラッドの命でグンナルを嗅ぎまわっていたシーンが、レイフとの再会、アイスランドへの帰還を捨てるという描写に切り替わっていました、その部分が直後で運命の分岐点になるのですごく印象に残りましたね。
原作ではレイフとの帰還を捨てたわけではなく、なし崩し的に状況に流された結果、奴隷に落されてレイフとの帰還はかなわなくなるのですが、アニメでは自分から捨てたというような描写になってました。悲しかったですとても悲しかった。

主人公はあくまでトルフィンなんですけれど、物語の都合上というかブリテン編が半分を占めているのでトルフィンよりアシェラッドやクヌートの方が主人公に見えてしまうのは玉に瑕なかんじでした。
原作でもそうなんですけれど主人公だれだ!ってなりますね。
ちょくちょくトルフィンは活躍するんですけれど、大局を左右する存在ではないので。
そうなっていくのは奴隷編以降でヴィンランドを目指すという目的を明確にしてから、アシェラッドという敵を失った後に本当の目的の為に目覚めてからなので、そのプロローグにあたる今回のアニメ化ではトルフィンは目立ちませんでした。
たぶん、何クールか経った後に2期目があると思うんですけれどねぇ。今のところは告知はされてません。原作のストックが足りないのか?な?

ラストシーンはこれまでとこれからのカットイン。
トルフィンが父親の短剣を手放すシーンでその短剣に映りこむ形で描かれました。
エイナル、ヒルド、グズリーズの姿も描かれたことが印象的でしたけれど、短剣の手放し方が原作と印象がかなり違いました。
最後のシーンを映す役割があったのでこうなったのだと思うのですが、偶然、落としたという感じだった原作に対して、運命によってがんじがらめになったトルフィンが取り落とす、手放さざるを得なくなるという描写になってたのはずいぶん印象が違うように感じました。
これで、トルフィンは復讐の象徴であった短剣から開放されるという描写だったように思えます。
まぁ、その結果奴隷に落ちるんですけれどね。いったん。
落しただけの描写だったのより、手放したという描写があるというのはずいぶんと意味が変わるのですごくよかったと思います。象徴的ですし。すごく印象的でした。

ほぼほぼ原作通りなんですけれど、原作に足りなかったところを補完し、ブラッシュアップが必要だったところはブラッシュアップするという作品だったと思います。
ここまでを見るなら原作よりアニメの方が流れが追いやすいし、印象に残りやすいと思います。
こう思わせるようなアニメ化って昨今では珍しいので、ほんといい作品だったなぁと。
ただ、続きが気になる!プロローグだったのかよ!というのはまぁ、文句としては言いたくなるのは仕方ないところですかね。
早く続きのアニメ化をお願いしたいところですね。

 

この世界の(さらにいくつもの)片隅に

見てきました。
年末に公開開始されて丁度3週目初日になりますね。
普段いっている川崎のシネコンでも109シネマズでやっていたのですが、スターウォーズを見に行った時にパンフレットの在庫を確認したら売り切れ。入荷予定を聞いてみたら入荷未定という事で、残ってそうな劇場を探して見に行くことにしました。
Twitterでテアトル新宿なら残っているという情報は頂いていたんですけれど、自宅からは新宿より渋谷のが近い。渋谷の単館上映系の映画館であるユーロスペースさんに問い合わせをして、パンフレットの在庫があるという確認をとってから見に行きました。
初めて行く映画館ですけれど、実は、「この世界の片隅に」の時にも川崎でパンフレットが売り切れていて、パンフレットの購入の為だけに一度行ったことがある劇場です。
なお、このユーロスペースさんは「この世界の片隅に」が最初に公開されたときに全国で70館弱の公開だったのですが、その時に封切りしたときに名前を連ねていた劇場です。
配給元の劇場ではないですけれど、この映画には力をそれなりに入れている劇場さんですね。

今回、見に行くにあたって微妙だったことがひとつ。
劇場のサイトに書かれている上映スケジュールの時間とオンラインチケット予約のサイトでの上映スケージュールの時間が食い違っていたこと。
日に3回「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を上映するのですが、その間に1本短い映画を1回だけ上映するのね。それと上映順が入れ替わって書かれていました。
僕はパンフレットの件で問い合わせたときに確認したんだけれど、劇場のサイトの方が間違っているという事でした。昨日の夜には修正されたようでしたけれど、それ以前に時間を見て今日劇場を訪れた方が受付でもめてました。むぅ。

今回、見に行く劇場をユーロスペースさんにしてうれしかったこと。
大型のシネコンではやっていないポストカードのプレゼントがあったこと。
これ配給元の劇場でやってるのは知っていました。ユーロスペースさんでも同じくやっていてそれがもらえました。3週目になるので無理かなーって思っていたんですけれどね。もらえたのはラッキーでした。

さて。
映画本編以外のことはこの辺で終わり。
映画本編の感想を。
といってもですね。もともとこの映画は「この世界の片隅に」という映画が前提としてあってですね。それにシーンを追加した長尺版と呼ばれていたものだという事です。
基本的なストーリーとかは、「この世界の片隅に」と変わっていませんので、それについては言及しないで良いかと思います。
昭和19年から20年にかけて、ひとりの女性が戦争中の呉で生きて、そして自分の居場所を見つけたというストーリーです。

何が違うかというと250カット、時間にして30分以上の追加シーンがあるという事が前の「この世界の片隅に」との違いになります。
前評判としては聞いていたのはまるで別物という評価でした。
僕がどう感じたかというと、まるで別物とまで言うほど違うかというとそうじゃないかなと思いました。だけれども、「この世界の片隅に」で描こうとされていたテーマと、この「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」で描こうとしたテーマは違うものだったのではないかという事を感じました。
良くも悪くも、この「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の方が登場人物が多く、人とのつながりあいが複雑に絡まっているので、おのずと描かれるテーマが変わってくるという感じに思いました。
「この世界の片隅に」では戦争という時代に生きたすずさんという女性が居場所を見つけるという話でした。
「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」では、すずさんという人物を通して、いろいろな人の在り方を居場所を見ていくという感じに思いました。それはすずさんが感じる居場所の無さに繋がっていて、今、いるべき場所はここじゃないのでは?今、すずさんがいる場所に本来いるのは別の人(リンさん)なのではないかという葛藤を描いていくという形になっていたと思います。
あの時代の女性の生き方として、いくつかの可能性が示されるのですが、どれもすずさんが別の可能性としてあった生き方として描かれていたのではないかと思います。

すずさんを通してみると複雑なんですけれども、すずさんがその気持ちになる原因になる人物たち(リンさん、周作さん、哲、テルさん)から見るとそう複雑ではなくて、すずさんが思い悩むほど互いに意識していないというか、結論をもう付けた後だったりして、すずさんらしい空回り具合ではあるんですけれど、まぁ、人の心ってそんなに単純に行かないよねって思いました。
テルさんはひとつの居場所の可能性として挙げていますけれど、彼女とは色恋のやり合いはなくて、ひとつの可能性としてだけかな。
リンさんが一番、すずさんがぶれる原因になる人物となっていますが、これ、原作通りなんですよね。僕は原作を「この世界の片隅に」を見たあとに読みましたけれど、本作も原作からは逸脱はしていません。あくまで「この世界の片隅に」でカットした原作のエピソードを追加し直したのが本作となります。
原作通り映画として描いていくと、すずさんの想いというのが浮き彫りになっていくといった感じでしょうか。
原作ではあまり感じない人同士の関係からくる葛藤や苦悩といったものが一連の映画の流れとして見せられると浮き彫りになるなと感じました。
リンさんとの関係から、北條家の中に居場所がないのではと悩むことになるという感じになっていき、その間の周作さんとのやり取りの意味合いがまた別のものに見えてくるという感じに構成されてました。
また、哲との関係が浮き彫りになり、周作さんと結ばれる前のすずさんの想い人的に描かれることになっています。これは前からそうだったんですけれど、哲の描写が少ないのとリンさんとの会話シーンがない為、それはもう終わったことっていう風に見えていたものが、実はまだすずさんの心の中のどこかにあってという風に受け止められるようになっていました。
傍から見れば、周作さんの心はもうすずさんの方にあるし、哲はすずさんの事を好きだけれども戦地に赴くものとして心を決めているのですずさんが拒めばそれでおしまい。
一番、すずさんを惑わすリンさんだけれども、そもそもリンさん、周作さんの事を一人の優しいお客さんとしか見てないよね。
悩むだけすずさんが無駄なことをしているのだけれども、すずさんからみたら、なやまざるを得ないことなのは明白で。
それが、人の繋がりを複雑に見せている本作の魅力だと思いました。
すずさんのいるポジションは実はリンさんのポジションだったのではないか?とか、それどころか広島でのあの時バケモノに攫われたままであれば、リンさんのポジションにいたのは自分だったのではないか?とかそういうことをたぶん本作のすずさんは考えていて、ずっと悩んでいてという作品になっていました。

結果的に最後はきちんと周作さんと気持ちを交わし合って、「ありがとう。この世界の片隅に私を見つけてくれて」という台詞につながる訳なんですけれど、そこに至る過程、リンさんと周作さんの事にすずさんが決着をつけるシーンがないので僕としてはもやっとした終わり方になってしまった気がしました。
きっと、終戦後に遊郭の近くまで行ったときに、周作さんがすずさんにリンさんの居た二葉館を見てこいと促すシーンがあるんですけれど、ここがターニングポイントなんだろうなと見終わった後に、いろいろ考えて僕がたどり着いた結末でした。
このシーンで周作さんが二葉館を見に行けといったこと=リンさんの事は吹っ切れているという暗示になっているとしか思えないので(それ以外は桜のシーンだけれども、そこで周作さんとリンさんの態度を見た後にも、どこかよそよそしいすずさんの描写があるので、まだ引っ張っていると思える)、ここだと思うんですよね。リンさんの言葉を思いだして空想で絵を描く描写もありますし。
だけれどもそれはちょっとわかりにくくて、すごく考えないといけないかなって思いました。
その結末にたどり着くのには描写が弱い感じがしたんですよね。
故人を思い偲ぶようにも取れてしまうので。

そんなこんなで「この世界の片隅に」と「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は別のテーマを持った作品だと感じてこういう感想を抱きました。
すずさんの居場所の可能性として、バケモノのシーンまで関係してくるというのはさすがだなぁって思いました。
完全に違うテーマの作品には仕上がっていたと思います。
ただ、帰着するところが結果的には一緒であるので、いろんなところで言われているほど別ものという印象は受けませんでした。
メインで描いていたテーマが戦争の中での自分の居場所から、人と人の関係の中での自分の居場所と変わっていたけれど、すずさんの居場所を最後に規定してきちんとした結論を周作さんがだしてすずさんから感謝されるという流れが変わっていないので、メインの大きな流れ、自分の居場所というところの話が変わってしまったわけではないと思ったんです。
たぶん、見た人によって受け取り方が大きく変わる作品だと思いました。
男性女性でも変わるかな。
僕はこう感じました。
「この世界の片隅に」と「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」、どちらが好きかと言われたら甲乙つけがたい。
どちらもそれぞれ良さというものがあると思います。
ただ、作品の完成度としては若干ですが「この世界の片隅に」の方が上に思えました。まとまり切っている感じがしますので。
でも、もうひとつの可能性。あり得た可能性を見てみたいというのは人の欲求として普通の事だとおもいますし、見てよかったと思いました。

 

ソードアート・オンライン アリシゼーション War of Underworld

アリシゼーション編の続き3クール目。12話+放送前週に前2クールの総集編がありました。もともとが長いお話しですので、これで終わるとは思っていませんでしたが、前のアリシゼーション編がたしか2クールを一気にやったので今回のWar of Underworld編も2クールで一気にラストまで、ムーン・クレイドルまでやるかは分からないですが一気に行くものとおもってたのですが、製作上の都合か分割2クールになったようです。
結果アリシゼーション編は変則的な3分割での放送になったようです。
15巻から17巻の1章目くらいまでのアニメ化です。
具体的に言うと、アドミニストレータとの戦いの後、リアル世界でのソウルトランスレータの電源消失によりキリトの精神にダメージがいってしまい、アンダーワールド内で廃人の様になってしまってから、シノンがアンダーワールドにログインするまで話となっています。

たぶん、原作既読でアニメを見ていない人は僕が今、書いた範囲を聞いて、ん?と思ったかと思います。
そう、主人公が全く喋らない時期です。まぁ、「あーうー」くらいは言うんですけれど、廃人状態になっているのでキリトに活躍の場はありません。
また、原作自体がそうなのですが、キリト復活までの長い長いプロローグみたいな部分でこの後にキリトが復活するまで割と淡々とした戦闘描写が続いていきます。
しかも整合騎士とダークテリトリーの兵の強さのぶつかり合いがそこかしこで描かれていくパートになるのですが、話としては長い割には単調で面白味に欠ける部分。
ここら辺の巻で面白いのはリアル側での動きになるのですが、アニメでは割とその辺はカットされていました。
もっと描写あったでしょうにと思いながらも、頑張った方かなぁと思いながら見てました。
だってさ、電撃文庫のアニメ化のお約束みたいな1冊3話という作りではなく、2.5冊未満で12話使ってますからね。
尺としてはかなり潤沢に使われていたんですよ。
それでも、リアル側の描写は極限まで減らされていましたし、ダークテリトリー側の諸勢力の思惑なんかっていうところはかなり削られてました。
オーク族のリルピリンの話とか、原作では結構ページを割いて書かれていて、彼のくやしさとか人間族であるベクタに捨て駒にされる時の気持ちとかものすごく丁寧に原作で書かれた部分だったんですけれど、その辺をカットしてしまっています。
残念。
巻数が少ないので結構、描写行けると思ったんですけれどねぇ。
これでもまだ足りない感じでした。
ただ、原作のまま描写をしちゃうと、ダークテリトリーの描写が多くなってしまい、主役が誰だかぼやけるし、アニメとしての媒体としては流れを阻害するよりは削ってしまって、ベクタ(ガブリエル)やヴァサゴの描写や、主人公としてのアリスやアスナたちの描写が多くしてあったのは正解だと思いました。
ただねー。
やっぱり盛り上がる場所じゃないんですよ。ここのお話し。
予定調和として、アンダーワールドが大変な状況に陥る、リアルでも大変な状態になってるというのを延々描き続けた場所なので、冗長感があるのは確かです。
面白いんだけれども、グッとくる部分はないみたいな。
しかも、今回からの初出の登場人物が多いですし。
これがソードアート・オンライン初見という人は少ないとおもうんだけれど、アニメだけで追っている人は結構つらかったんじゃないかなぁと思います。
キリトは画面にちょくちょく出ますけれどあんなだし、アスナやリーファといったこれまでの登場人物は最低限しか出てきませんし、アリスへの思い入れってあんまないと思うんですよね。
アリシゼーションでもつんけんした態度が多いですし、急にデレられてもという感じですからね。
これ、分割したの失敗じゃないかしら。下手したらここで見るのやめちゃう人多いのではとか考えちゃいました。

原作既読組の僕は予定調和としてみていましたので、そんなに楽しめないという事もなく、アリスがいきなりデレてるように見えるなぁとか、ユージオの事もうちょっと思い出して上げてとかそういうことを思いながら、普通に楽しんでみてました。
もうちょっと、戦況が分かりやすいように俯瞰で見るシーンがあればよかったんですけれどね。
さて、4月からベクタとの直接のやり合いが始まりますし、キリトも復活しますし。
アリシゼーション編の締めくくりまで3ヶ月待つことにしましょう。
もともと長い話ですから仕方ない。
中だるみの時期だったんだよ。このクール。

 

ガンダムビルドダイバーズRe:RISE

1クール13話分がYoutubeにて配信されました。
BS11とかでも放送しているので、TV録画したい人はそちらで視聴したかと思います。
基本、Youtubeの配信が一番早く見れる方法で、TVは1週ないし2週遅れという感じでの放送となっていました。
1クールでいったん切れますが続きのSecond Seasonが4月から予定されています。
つまり分割2クール。

前作ビルドダイバーズからの続編となっていますが、一部キャラクターを除いて前作キャラは出てきません。
主人公たちのチームがビルドダイバーズという名を名乗りますが、これはシステム側でデフォルトで設定されてたままの状態のものから一文字大文字小文字を違くしただけなので前作のビルドダイバーズとは全く関係がありません。
ですが、基本的な設定に関すること、GBNというVRゲーム、ELダイバーという電脳知性体などに関しての説明はなく、いきなり出てきますので基本的に前作を見ていることが前提となっています。

主人公はヒロトという少年ですが、これがまたつかみどころがないというか、過去にGBNとどうもELダイバーの少女と心を通わせていた感じなのですが、ある事件でその少女を失い、また、その事件の場所がよくわかっていないのか、GBN内のいろいろなフィールドを訪れては確かめるという事をしている少年です。
GBNは義務感みたいなものでやっていて楽しんでいない。ガンプラ造りもそうで、過去その事件が起こるまでは楽しんでいたものだったのにというのが折に触れて語られます。
ですが、結果的に1クール目ではそれの結論については語られることはありませんでした。
少しずつ、ビルドダイバーズの仲間と打ち解け合って、ガンプラ造りに精を出す姿を見せ始めたり、協調してミッションに当たるという姿勢を見せ始めたというところで終わっています。
たぶん、ヒロトの事件は悲しい事件であって、失われた少女の面影をヒロトは追ってるわけですが、その傷が癒えて行く過程を見ているという印象がありました。
周りは割とコミックリリーフ的な動きをするキャラクターが多いなか、ひとり孤高のヒーローを地で行ってる感じでしたね。
ヒロト以外のキャラクターはガンプラ造りをするシーンが無く、ヒロトもガンプラ造りを見せるというよりは過去に作ったガンプラを利用しているという感じなので、あまり、ガンプラガンプラという台詞の割にはガンプラを印象付けるイメージはありませんでした。
このシリーズ、回を重ねるごとにガンプラから遠ざかってる印象ありますね。
まぁ、アニメ本編で活躍したガンプラをそのままバンダイさんがリリースすることで、アニメの中と同じものを手にできるよっていうのが売りなんだと思いますけれど。
ガンプラを改造するという方向に行かないイメージがついちゃうのは良くないんじゃないかなぁと思ったりしながら見てました。
もっと改造しようぜ?

GBNに新たに実装されることになったストーリーミッション。任務がストーリー上に連続しているというものですが、ある路地裏でたまたま居合わせたヒロトを含む4人がそのストーリーミッションに巻き込まれて、なし崩し的にチームを組んでミッションに挑むというのがストーリーの流れなんですけれど、最後の方でクリア不能っぽいミッションにぶつかったことや、ミッションにしては不自然な流れがあり、訝しむシーンがちらほら。
そして最後の最後で明かされるメンバーのひとりでELダイバーのメイがその目的としてたのがGBNからログアウトしないまま意識不明になっている「シド」という人物の捜索という目的。
ミッション中に出くわしたガンダムゼルトザームのパイロットがそのシドっぽいというところで、今回の配信/放送分は終了。
最終話ではリアルでビルドダイバーズが顔を合わせてシドのリアルであるシドー・マサキに会いに行くという流れになってました。
また、最後に起きた通信障害がどうもヒロト達のやっていたストーリーミッションとかかわりがあり、実はそれがシステムに実装されてないミッションだという事が開示されて、リアルとして起きたことなのではないかというストレスがメンバーにかかり、ミッションを続けるかの選択を課してきます。。
シドの件もあって、また、ストーリーミッションで出会ったNPDたちがもしかしたら本当に存在する実在する人物かもしれないという重圧がかかる、それを助けないといけないけれど、ミッションを続けるとシドのように未帰還者になる可能性が否めないという重圧。それが明らかになったところ、そんな中でもビルドダイバーズがミッションに挑もうとしたところで終了です。
何やらひっ迫したミッションの舞台となるエルドラから連絡が入るといういいところで切れてました。

今までのビルド~とは一線を画したストーリー展開で面白かったです。
まぁ前半はバラバラ(もともとチームだったわけじゃないので当然)なビルドダイバーズが1フォースとして機能し始めるという流れも面白かったですが、なによりもガンプラ造り以外の要素を盛り込んできたというところには意欲を感じましたし、大好きな未帰還者ものだったので、これは!という感じ。
ただ、なんというか、話の流れ的にゲーム内の事象がリアルに影響を及ぼしたり、未帰還者が出てる自体が公になってないあたり、かつての「.hackシリーズ」に酷似している感はあって、.hackだなぁこれって思いながら見てました。
面白いので良いのですが。
未帰還者ものはストーリー要素が似ちゃう欠点ありますね。

続きは4月から。
また、配信というかたちで放送になるんでしょうね。
楽しみに待ちたいと思います。
そういえばBD/DVDのリリース情報がないんだけど、配信があるからもしかしたらBD/DVDリリースはないのかな?
もしくはSecond Season後とかになるのかな?

 

PSYCHO-PASS3

劇場版4作(劇場版+SS)を挟んだ上で放送された第3作目です。
1クール8話で放送されました。放送前に第1期からSSまでを振り返る特番がありました。
1話1時間というアニメではあまりない形式で、刑事ドラマを見ているような感じ。
ちょっとその辺は新鮮でしたね。
30分で描ける量ってのはやっぱり限界があるし、1時間あることで通してみることができるという可能性を見た気がしました。
刑事もののドラマとかが1時間枠なのがよく分かった気がします。

第3期のキービジュアルに新しい主人公である慎導灼と炯・ミハイル・イグナトフが描かれていて、今までのメンバーは?というのが始まる前の疑問点でした。
SSで狡噛さんが帰国するという振りがあったうえでの3期でしたので新しい監視官が2人主役だけれど、狡噛さんや朱はどうなってるの?という感じ。
結果的に朱は過去に起こった事件により拘束される身(しかも潜在犯にはなっていないのか、特殊施設に軟禁されている)になっており、狡噛さんをはじめとして宜野座さん、須郷さんというこれから主役っぽい活躍を期待されてた面々は外務省に異動しておりちょい役になっています。
新しい主人公を据えて、新しい公安局刑事課の活躍を描いていくというスタイルになっていました。従来のメンバーでの活躍を期待してたので、ちょっとその辺は不満要素としてありましたね。
灼と炯は十分魅力的なキャラクターでバックボーンもしっかりしているのですけれど、執行官のバックボーンが薄いというか満足いく描写がなくて、なんでこんなにチンピラなんだろうとか、なんでこんなに人形みたいなんだろうとか疑問が付きまとうキャラクターたちでした。
最終話でジャーナリストに転向した六合塚さんが各キャラクターにインタビューをするという形式でキャラクターの考えとかを掘り下げるというのがあって、それでやっと深みが出た感じ?
ちょっと執行官の描写については不満足な点が多かったです。ぽっと情報は出てくるんですけれど、それがキャラの性格や行動につながるまでいかないみたいなところがあった気がします。
1期とかは各キャラクターに焦点が当たる「話」があったんですけれど、3期では「シーン」があるだけな印象でした。その分、灼と炯には十分焦点は当たってましたが。

ストーリーは一見連続していない事故が意図的に仕組まれた事件であると推察した灼と炯がその背後にいる組織を追っていくというストーリーなんですけれど、一見するとちょっとわかりにくいですね。
前みたいに事件に槙島や鹿矛囲が直接事件にかかわっているのではなく、事件の背後にいるコングレスマンはインスペクターという手下を使い、さらにインスペクターは狐と呼ばれる実行犯を使うという形になっているので、コングレスマンと事件のつながりが見えにくい、何度も見直さないと頭に入ってこないタイプの作品となってました。
ちょっと何度も見直したのできついものがあったかな。さらっと見てられない頭を使う作品となってます。
それが醍醐味でもあるので、そこを楽しめないとダメな感じ。
コングレスマンというかインスペクターの残す形跡から、徐々にコングレスマンに近づいていく様がどきどきものでしたが、それと同時に灼と炯のスタンスの違いってのが明確になっていって、最終話ではかなり険悪なものになっていたのが残念でした。
しかも炯はコングレスマンに取り込まれちゃう形で終わりますし。

続きがとても気になる感じの終わり方でした。
というのも話が全然完結してません。
続きは映画(もしくはネット配信もするのでそれで!)という形になっています。
灼と炯はどうなってしまうのかが気になるところですし、朱や狡噛さんたちがやっと表舞台に近いところに上がってきたという感じで終わるので、続きを早く!という感じ。
ただ、2時間くらいの映画1本で終わると思えないので、またSSみたいに何本かの連作になると予想してます。
ちょっと、どこまで続くのかがわかりませんね。
ずっとぼかしてある朱が収監されるきっかけになった事件とか、その辺がどう絡んでくるのかが気になるところです。
あと、最後のシーンで六合塚さんがやばい感じになってたのでそれも気になりますし。
朱と狡噛さんがやっとであったのに!というも気になるところ。
気になるところだらけで映画を待つのがつらい状態です。

面白かったですけれど、今までのPSYCHO-PASSとは一味違った形でしたね。
あんまり潜在犯とか犯罪係数とか出てこなかったですし。
まぁ、追っている事件が色相を悪化させないで行われる犯罪行為(当人たちに犯罪をしている意識をコングレスマンやインスペクターが持たせない)なので、ドミネーターの出番もあんまりありませんでしたしね。
最後はコングレスマンにドミネーターを向けるシーンが来るんでしょうけれど、それはかなり先になりそうな予感です。
できれば、あと4話、TV放送してほしかったなぁ。製作スケジュール的に無理だったんだろうけれど。

 

とある科学の一方通行

1クール12話で放送されました。
とある魔術の禁書目録のスピンオフ作品。原作はコミック展開で原作既読で視聴しました。
1話目はアニメオリジナル。2話目以降が原作に沿った形での展開でしたね。原作の7巻までの話をアニメ用にアレンジした形で展開してたような感じです。
でもほぼほぼ、ストーリーは同じです。

レベル6に到達するというのが一方通行に与えられた使命でしたが、結果的に計画が断念された(上条に倒されることでレベル0に負けるレベル5じゃ、レベル6には到達できないという事になった)後、打ち止めと出逢ったことで、悪の道から少し抜け出しつつある一方通行が主人公になります。
とある魔術の禁書目録本編の描写があまりないので、いまいちどの辺に位置する話なのか分からないんですよね。この作品。
しかも、一方通行とか学園都市内では通年で同じ格好ですし、出てくる登場人物も、服を失ったりしてありあわせを着てたり、白衣だったり、警備員の制服だったりで季節感がありません。
どの辺の話なんですかね?これ。
第3次世界大戦前の話だというのは一方通行の態度から分かるんですけれど、黄泉川とそれほど親しくなかったりするし、病院に入院しているという状態(ひょいひょい抜けだす)なので、結構初期の段階かな?打ち止めと知り合った直後くらいの話なんでしょうかね?

死霊術を操る少女エステルと出逢ったことで始まるストーリー。
彼女はかつてのレベル6計画とは別のアプローチでのレベル6到達計画に協力していて、その過程で友人を失うことになってしまい、間違いに気づき計画から離脱、追われる身になっているところに一方通行に出会うという話で、このレベル6到達計画が結果的に悪魔を召喚することになるんですけれど、これにエステルの家の過去が絡んでくるというお話。
結構凄惨な話が連続して、あまり笑いの要素がないのが、とある魔術の禁書目録やとある科学の超電磁砲との違いかな。
割とシリアス一辺倒な話で、しかももともとの登場人物の活躍が少ないです。一方通行だけ目立つという状態で、妹たちとか出てくるんですけれど、目立たない。
オリジナルキャラクターであるエステルとかのが目立つという感じで、その辺もとある科学の超電磁砲と比べてみると大きな違いだなぁと感じるところです。

悪党とヒーローを比較するのがテーマのひとつにある感じです。
敵は敵としているんですけれど、その敵を容赦なく倒してつぶしていく一方通行は自分自身を悪党と呼びます。
それに対して、ヒーローてのはっていうところを説くんですけれど、実際彼自身がヒーローのひとりなので、悪党悪党いう割に良い奴じゃん?ってなるんですよね。
そもそも論として、打ち止めと出逢った後の話なので、一方通行さんヒーローを目指してますし。明確に自覚はしてないみたいですけれど。

面白いかどうかというと、アニメで見てみると意外と面白かった。
というのも原作の方が、とある魔術の禁書目録本編やとある科学の超電磁砲と比べてあんまりおもしろい作品じゃないんですよね。
なんでかなぁというと、活躍が見たい人物が活躍しないんですよ。
とある科学の超電磁砲では御坂美琴をはじめとして黒子とか初春とか原作にも出てるキャラクターが絡み、上条ちゃん自身もちょいちょい顔を出します。
それに対して、このとある科学の一方通行では事件として、今までの登場人物とは関係ない人物で一方通行の周りを囲んでしまうため、打ち止めや妹たちがあまり出番がない。黄泉川とかもっと絡めてくれば良いんだけれど、結局一方通行とは同じ事件を追っていても、いる場所が違う為に出番が少ないんです。
この辺のなじみのキャラがもっと出番があって話に絡んでくるとなれば、面白さもアップしたような気がするんですけれど。
アニメだとその雰囲気が少し緩和されていたように思えます。
カットインで別の場所の展開とか入るからかな。

ラストシーンで、次の話の登場人物がちらっと出てきました。
ということは2期目があるのかな?
ないのにあの終わり方はちょっと微妙なのであるんでしょうねぇ。
とある魔術の禁書目録関係はここへきて、なんかアニメ関係で盛り上がってるな。
本編3期目、これ、そしてとある科学の超電磁砲の3期目と続いて公開されていくので。
今後も期待していのかなぁ。
本編のアニメは駄作だったけれど。
コミック展開の方はアニメで良質なものを見せてくれてるので。ちょっと期待したいですね。

 

コップクラフト

1クール、12話+総集編1話で放送されました。
コップクラフト DRAGNET MIRAGE RELOADEDを原作とするアニメです。
原作既読。
原作の7巻の刊行が放送中に予定されてましたが、結果的には7巻の刊行は間に合いませんでした。残念。
こういう感じにアニメ放送中に原作の新刊をってやろうとするとなぜか失敗することが多い気がします。
そもそも、原作者の賀東さんがシリーズ構成としてアニメ制作にかかわってる時点で、原作書いてる余裕ないでしょって思うんですが、何故出せると思ったのか。

異世界とつながった場所にある地球の都市サンテレサ市が舞台でその警察、それもバイス(特別風紀班)に勤務するケイ・マトバと、異世界であるレト・セマーニからやってきた騎士ティラナ・エクセディリカを主人公とするバディもの。
そもそも原作が、テレビの刑事ものドラマを意識して書かれているので内容的なことでは文句なく面白かったです。
ただ、放送コードに引っかかるなどの理由と、魔術師ゼラーダとの因縁を話の主軸としていて、6巻までの内容から不要なエピソードを削っている為、ちょっと説明不足になりがちな面が見えました。
これ、2クールでやったらもっと、脇のエピソードや舞台背景の説明などに費やせて、完成度が高くなっていたろうなと感じました。
キャラには文句はないんですけれど、背景の作画に魅力がないなぁと見ていて感じました。原作のイメージはアメリカの都市部(ニューヨークやカリフォルニアなど)をイメージしていることは明らかなんですけれど、その辺は伝わってこない背景でした。
なんかね、平坦な感じの描写でアニメの都市背景はこれでしょっていうテンプレートを持ってきたような印象を受けました。
ビルの屋上として描写されたのは森ビルの屋上風景でしたし、日本的な都市風景の印象が混じりこんできてしまってちょっと残念な結果に。
予算的にあまり多くないのを途中で感じてしまいました。
予算低い作品と予算が潤沢な作品で顕著に違いが出るのって背景だと思います。あとOP/EDでのテロップ。
高予算の作品だと作品に応じたフォントなんかを使われるんですけれど、低予算だと普通にパソコンで打ちましたって感じのフォントがそのまま使われるみたいな。
残念ながら、本作のテロップは後者。
背景の残念さと相まって低予算なのを感じちゃいましたね。

ゼラーダとの戦いを主軸に置いたので、6巻までやることになってしまい、1クールでは当然尺は足りません。
省かれちゃったエピソードとかあったと思います。(原作のその辺の記憶があいまい)少なくともTwitterで賀東さんがカットされたエピソードがあるというようなことがあったので、その辺はあったのだと思います。
またシーンも多く削られている印象がありました。
原作では異文化交流がこの作品のテーマ的なものなので、ケイとティラナのやり取りで差別用語とか結構バンバン言い合うシーンがあったり、風紀課という職場の関係でドラッグなどの描写も多いのが原作の特徴でした。
その辺がカットされてしまって、言葉だけで済まされてしまったり、登場しなくなる人物がいたのは確か。
その辺は構成としては残念だったと思います。ゼラーダ編を最後までやるという事で、話の一区切りがつくところまでという事になりますので、話の展開としては良かったと思うんですけれど、異文化交流の難しさやドラッグなんかの危険性などを描いたりするハードな部分はかなりカットされちゃったなぁという感じ。
ケイとティラナは最初の方、結構言い合いしながら先に進むというパターンが多かったのですが、アニメでは割とすぐにお互いに認め合っちゃったみたいな印象になります。
細かなセリフ回しがマイルドになるだけでずいぶん印象が変わるものだなぁと思いました。
割りをかなりくったのがオニールとケニーのコンビ。似非神父とボディーガードですね。だいぶ出番が削られたというか1回しか出てきた記憶が…。あ、2回でたかな?原作だとほぼ毎回出てくるんですけれどね。
彼らの出番がかなり削られたのはドラッグがらみの描写に直結するからだと思います。

ストーリーとキャラ描写は頑張ってた。
低予算ながら、ゼラーダとの決着まで描き切るという手法を取ったのは良かったと思います。
ストーリーがつながってるのが、わかりますからね。
それなりに楽しめました。
だけれども、もともとの原作が持ってた雰囲気とかは残念ながらそぎ落ちちゃった感じです。その辺がとても残念。
もうちょっと予算があればね。
あと、これテレビドラマを前提とした原作でしたけれど、30分じゃなく1時間枠前提だったことや、今の日本だと放送コードに引っかかっちゃう事項多かったのも残念かなぁ。
OVAで出てればまた違ったかもしれませんね。
でも、OVAが売れる時代じゃないからなぁ。

 

戦姫絶唱シンフォギアXV

5期目。1クール13話で放送されました。
戦姫絶唱シンフォギアの終章に当たるはず…。
とりあえずこれで大団円という事なので見ました。ここまで付き合ってきたのだし。
さて面白かったかというと、まぁ、惰性で見ちゃってただけなので僕の感想としてはもっと頑張ればもっと面白いものができるんじゃないの?という気分が付きまとってしまって、あまり楽しんでみたという印象はありません。
声優さんのキャラソンを売る為のアニメという印象はぬぐいされず、僕のごひいきの声優さんはあまり出ていないので、何ともという感じですかね。
キャラソン好きな人はこれで良いのかもしれないですけれど。
僕としては合わない作品だったなぁというのが最後まで付き合った結果抱いた感想です。
人を選ぶなこれ…という感じですかね。

この作品をここから見る人は居ないと思うんですけれど、こっから見た人はちんぷんかんぷんだろうなぁという感じです。
また、過去の4作を見てないと分からない小ネタとか展開とかあるので、ちゃんとこれまでの4作を見てきた人向けの作品となっています。
話の展開は前半と後半でガラッと変わっていて、前半はパヴァリア光明結社残党を風鳴訃堂が利用してマッチポンプ的な感じで戦いを先導していた感じでした。悪い顔だけど、一応世界を守る為に動いてた人が結果的には悪い人になったような展開でした。パヴァリア光明結社残党であるノーブルレッドは自分たちでも言っているように不完全で弱いので、終始シンフォギア装者に押される展開でしたので、翼がひとりで空回りしてうじうじしていた展開以外には安定して見れてる感じでした。翼のうじうじは割とシンフォギアではお約束なので今回もという感じでしたね。
後半は、前半の戦いの中で出てきた聖遺物シェム・ハの腕輪にまつわる話。
これを解析してたら、出てきたシェム・ハさんの制御が効かなくて、これとの戦闘になるという話。シェム・ハの目的がなんかものすごく暴力的で、何のためにそれをなそうとしているのかとか語られないのでいかんともしがたいのですが、とりあえず、個々で違う事を認めつつも、互いに手を取り合い分かり合おうとする人類を否定するというスタンスでした。
なお、シェム・ハと戦っていて、月に幽閉されてたっぽいエンキは協力してくれる立場でした。シュメールの神々の話を無理やり突っ込んだ感が否めない。

2期での神獣鏡、4期での神殺しの話なんかを織り交ぜつつ、響と未来の絆を描いたというのがこの5期だったといえばまぁ、わかるかなという感じです。

話の展開が唐突で、しかもやってることは1期から変わらないスタンスというもので、よく5期まで続いたなぁと思いながら見てました。
うん。よくここまで付き合ったな僕。
面白くないと思ったら、視聴中止してもよかったんですけれどね。
なんか、ここまで見たんだからというのと、井口さんが出てるというのだけを頼りに見てました。
最後、井口さんも歌に参加しててよかった。
ソロ曲が無いのが悲しいぞ。

 

キャロル&チューズデイ

2クール、全24話で放送されました。オリジナルアニメ。
BONES制作で火星が舞台になっています。端々に登場する例えばお金の単位などが、カウボーイ・ビバップと共通になっており、関係性を感じさせましたが、話の内容、登場人物などで共通する要素はなく、背景世界の雰囲気が共通という事だけにとどまったようです。

ミュージシャンを目指す二人の少女がある橋の上で出会って、デュオを組むことになり、デビューを目指して頑張るというお話。
デビューはストーリーの半ばで叶うので、その後は上を目指して頑張るという話にシフトしていきます。
その話をベースに火星における政治的なこともあり、表現の自由が守られなくなるというストーリーと、家族とは何ぞやというストーリーが並行して展開されていくというお話で、基本的には主人公のキャロルとチューズデイは歌を作って歌う事しかしません。
いろいろな事態に悩んだり落ち込んだりしながらも、楽曲づくりを続けていく中で、いろいろな人に出会い、影響しあって上へ上へ、良い方向良い方向へと進んでいく話。
見ていて、ちょっとハラハラドキドキする部分もあるけれど、おおむね安心して見ていられる二人の少女のサクセスストーリーとなっています。

メインのストーリーはあくまでキャロルとチューズデイのデュオのサクセスストーリーなんだけれど、それを取り巻く環境で彼女たちが起こす奇跡への流れを作っていきます。
キャロルは地球からの移民で貧困層に属する人の代表的な部分があります。対してチューズデイは母が大統領選にでている候補者で裕福な層の代表なイメージ。ただしチューズデイは母から見放されているところがあり不自由な生活を送っているところを家出して自由に音楽をやる道を選ぶという形になります。
この移民と大統領選という二人に付きまとっているイメージは最後まで引っ張ることになり、最後の最後ではチューズデイの母が強引で違法な大統領選の戦い方を止め、大統領選候補から降りて落ち着いてチューズデイの歌を聞くことで幕を閉じる形になります。
その大統領選の間で問題になって話題となるのが、地球からの移民問題と表現規制の話。表現規制の話はあまりヴァレリー(チューズデイの母)が主導しているという描写はありませんが、移民問題は積極的に排斥する方向で政策を掲げていて、ヴァレリーが当選したらキャロルもどうなるのかとかわからないというのが背景に流れています。
どうも、キャロル自身は違法移民ではないようで、その辺は落ちついては居ましたが。
後は母と子という葛藤が描かれるのが特徴。
チューズデイとヴァレリーの親子、そしてキャロル&チューズデイのライバルとなるアンジェラとその母であるダリアの親子が対比として描かれる感じですかね。
あまり対比にはなってないかもですけれど、どちらも娘を抑圧する親として描かれていて、ヴァレリーからは娘に対する落胆が、ダリアからはアンジェラへの高すぎる期待が描かれていました。
どちらも娘を抑圧する結果になっているのは興味深かったです。
結果的にヴァレリーは思い直してチューズデイを見ることができた。ダリアは肝心な時にアンジェラの心を失った上に命を失ってしまい、アンジェラが助けを求めたときに肝心な時に居ないという結果に。
そして歌われる奇跡の歌「Mother」。

歌は全部英語歌詞になっていて、声優さんと歌唱は別の人が担当。歌唱はプロのネイティブのイングリッシュスピーカーが担当するという形です。マクロスの歌を別の人にやらせるパターンを全員に適用したという力の入れ具合でした。
楽曲がとにかく素晴らしく、心惹かれるものが多かったです。特に、キャロル&チューズデイとアンジェラの曲は歌詞が対比するように作られてる面もあり、孤独でのもひとりで生きていく強さみたいなものをアンジェラが歌えば、それに対応するように孤独の厳しさと救ってくれる人を見つけるという意味合いを持った曲をキャロル&チューズデイが歌うといった形です。
特に孤独というキーワードはこの3人の中には共通としてあって、パートナーを見つけたキャロル&チューズデイの曲は終始、アンジェラへ向けて手を差し伸べている曲になっている印象がありました。
また、その人物のイメージの印象として「Fire」という単語が彼女らの曲には多く出てくるのですが、そのすべてを燃やし尽くすようなイメージと対比して暖かさをイメージさせたりというのに使われているのは印象的でした。
最後の最後の奇跡として歌われる「Mother」にもその辺は受け継がれている感じ。
「Mother」の企画をキャロル&チューズデイを上げたときには「We Are the World」かよって思いましたが、ちょっと主旨とかは違いましたね。
「Mother」自体は表現の自由を求めて歌われた歌であって、そして、救いの歌であったので。

この「Mother」によってこれが歌われた7分間は奇跡の7分間と呼ばれるようになったと1話の冒頭から語られているんですけれど、実際にどう変わったかはご想像にお任せしますという形になっています。
物語は「Mother」が歌われたところまでで終了で、その後、奇跡が起こった後の事は描かれていないです。
ただ、奇跡と呼ばれているのですから、すべては良い方向に流れたんだろうなという想像はできます。
移民問題はヴァレリーが引いたことで解決しますし、きっと、この曲を切っ掛けに表現の自由が守られる方向に向かったんだと思いたいですね。

素晴らしい楽曲と、少女たちのサクセスストーリー。
派手さはないけれど、とても素晴らしい作品だったと思います。

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